ぜんそくのお話し(中学生)
こんにちは。ファイトマンです。
小学生まではぜんそくのため、ほとんど走ることはありませんでしたが、中学生で部活で走らされてからは体力がついてきました。
中学生になり、テニス部に入部しました。
入部してすぐは球拾い、素振り、走り込みの基礎体力作りで、ボールを実際に打つことはさせてもらえませんでした。
部活の顧問の先生が大変厳しい方で、校舎の周りを永遠と走らされました。
今でもツラかったと覚えているのが、「校舎10周ラン」です。
ただ校舎を10周走れば良いのですが、誰かが「歩いている」「シャツを出している」等の理由で、連帯責任で1から全員走り直しになることがありました。
完全にスポ根の世界です…
そんなのを土日も含めて毎週やっていると、自然と体力がつきます。
下校時はクタクタなのですが、若いことは素晴らしいことで、夜寝れば次の日の朝は元気になっていました。
このころはぜんそくとは無縁で、薬を飲まなくても発作が起きなくなっていました。
そして、男が少ないのもあり市内駅伝大会の学校代表になりました。
このころの私の走りのスタイルは、全力で走ってあとは根性で粘るというものでした。
体力を温存するという言葉を知らない、アホ丸出しの走りです。
そして本番当日…
同じコースを走るイケメンでスポーツ万能のK君と一緒にスタート地点に行きましたが、K君の行動に驚愕しました。
なんと、まだスタートまで時間があるのに、いきなり走り出したのです。
なんでそんな疲れることをするんだと思いながら、私も一緒になって走りました。
なんてことはない、ただの準備運動でしたが、私は準備運動のために走ることを知りませんでした。
そしてレース本番。たすきを受け取った私は、前の選手に追いつこうといつも通り全力ダッシュです。
いつも走っている山あり谷ありのコースで、最後抜かされそうになりましたが根性で粘り、順位変動なしという結果でした。
また、市内のマラソン大会への出場が強制で、そのために練習で校外へ走りに行きました。
なぜか学校の周りが山あり谷ありで、坂上りが非常にきつかったことを覚えています。
マラソンが得意でない仲間たちは、まさに拷問でしたね。
こんな根性丸出しの部活だったにもかかわらず、辞めた人間はいませんでした。
中学生にもなると体力が付き、薬を飲まずに走ってもぜんそくの発作が起きなかったため、友達と変わらずに生活することができました。